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【悲報】日本人さん「イタリア料理のおすすめって何ですか?」イタリア人のワイ「イタリア料理って何?」→

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1: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 15:41:48 ID:eSNE
日本人さん「え?」
イタリア人のワイ「?」

2: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 15:42:14 ID:eSNE
そもそも、イタリア料理店というもの自体がありません。イタリアいう国は19世紀に誕生した新しいもの、
その前までは北部や中部に小国がいくつもあったのです。南部はというと違う国に支配されていて、
日本と韓国が将来的に一緒になったとしてもそれを合わせての料理店ができることがないのと同じことです。
あくまでそれぞれのレストランで郷土料理がメニューの中心となっており
過程で食べられるようなものが入り込んでくることはないのです。

7: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 15:43:05 ID:KRZW
>>2
日本も明治維新まで小国に分裂していから日本料理は存在しないな!

10: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 15:43:39 ID:eSNE
>>7
せやで?
実際に寿司も焼肉もラーメンも天ぷらもうどんも外国料理やが

12: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 15:44:08 ID:KRZW
>>10
うんうん、わいもそう思うわ

握り寿司は江戸料理やし、天ぷらも江戸料理

113: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 16:10:20 ID:FcLD
>>12
天ぷらは薩摩料理だぞ
薩摩揚げは昔の天ぷらで、江戸前天ぷらは薩摩天ぷらを参考に作られた派生料理だ

141: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 16:26:01 ID:psfp
>>12
天麩羅はポルトガルから来たやろ

天ぷら
歴史

江戸時代の天ぷら屋台。鍬形蕙斎『近世職人尽絵巻』(東京国立博物館蔵)

江戸後期と同じ技法と建材で再現された天ぷら屋台(深川江戸資料館)
奈良時代から平安時代にかけて中国から伝来した揚げ物は米粉などを衣にしたものであった。その後、16世紀にポルトガルのカトリック宣教師が小麦粉を使った西洋式の揚げ物の調理法を日本に伝えた。

「てんふら」という名称で文献上に初めて登場するのは、江戸時代前期の1669年(寛文9年)刊『食道記』である。ただし、「素材に衣をつけて油で揚げる」という料理法は既に精進料理や卓袱料理などによって日本で確立されていたため、それらの揚げ物料理と天ぷらの混同によって古くから起源・語源に混同が見られる。

こうした経緯もあり、今でも西日本では「天ぷら」が、魚のすり身を素揚げしたもの(揚げかまぼこのじゃこ天や薩摩揚げなど)を指す地域が広い。江戸時代の料理書では、これらの両方を「てんぷら」と称していた。

『鸚鵡籠中記』の1693年(元禄6年)1月29日の項に酒肴として「てんぷら」についての記述があるが、どのような料理かは不明である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天ぷら

4: 名無しさん@おーぷん 23/04/14(金) 15:42:39 ID:eSNE
ペペロンチーノだってイタリア全土で同じように発生したわけではなく発祥の地というのはあります。
それが南イタリア、そしてカルボナーラはローマ近郊です。
そのあたりのレストランであればメニューに含まれることもあるものの、
イタリア全土でカルボナーラとペペロンチーノが同時にメニュー表に出ているようなお店はそうはないのです。
もしもあるとすれば、ターゲットを日本人にしているようなところです。
イメージを抱いてやってきた観光客が楽しめるようにとあえてベたなものを出しているのです。
ということは食べられるのは日本でも食べられるレベル、本格的な味わいを期待することはできません。


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Source: 不思議ネット