1: 名無しさん@おーぷん 23/05/29(月) 21:43:05 ID:0mmw
真の戦争犯罪人トルーマンに伝えろや
ハリー・S・トルーマンハリー・S・トルーマン(英語: Harry S. Truman、1884年5月8日 – 1972年12月26日)は、アメリカ合衆国の政治家。同国第33代大統領(在任:1945年4月12日 – 1953年1月20日)。ミズーリ州選出連邦上院議員、副大統領を歴任した。第二次世界大戦終結当時の大統領である。
大統領に就任してから終戦にかけてのトルーマンは外交政策に没頭した。前述の通りトルーマンは外交経験が全く無い上に、ルーズベルト大統領とは僅か1度しか会っておらず、戦争の進捗・内部の情報は全く聞かされていなかった。
この当時ヨーロッパ戦線ではナチス率いるドイツが降伏間近で、アジア・太平洋戦線でも連合国軍が日本を追い詰め、戦争をどう終わらせるか舵取りが求められていた。
(中略)
戦争に勝てないと判断した大日本帝国政府は、7月12日にソ連にいる日本特命全権大使(佐藤尚武)宛てに、ソ連に和平の仲介を依頼する特使を派遣する予定であることを伝えるよう打電した。そのパープル暗号電報は即座に解読され、トルーマンに知らされた。
トルーマンは、大日本帝国政府が和平の動きに出たことを知っていたことになる。ポツダム入りしたアメリカ陸海空軍参謀本部は首脳会談の前に合同会議を持ち、「ソ連が参戦する予定であることと、天皇制存続を認めれば、日本の降伏は今日にでもありうる。
日本は既に壊滅状態で原爆を使う必要は無く、警告すれば十分」との結論を出した。しかしトルーマンは、その結論を信用しなかった。
(中略)
トルーマン政権は「降伏条件を緩和することで、日本の降伏を促進すべし」と説くグルーやスティムソンの派と、「原爆を投下し、その威力を示すまでは、降伏条件を緩和すべきでない」とするバーンズとトルーマンの派とに分裂することになった。
陸軍の完全な機密保持下に行われた原爆開発は戦後見直しを図られ、トルーマンは1945年10月に議会に対し、原子力に関する教書を送った。
それは原子力開発に関する管理体制についての物であった。翌年の8月には原子力法案が成立し、原子力委員会(AEC, United States Atomic Energy Commission)が作られた。1953年1月7日にトルーマンは水素爆弾の開発を発表した。
こうしてトルーマン自身は生涯原爆投下を正当化し、アメリカでは未だに「戦争を早期終結に導きアメリカ将兵の命を救った大統領」という評価が定着している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハリー・S・トルーマン
69: 名無しさん@おーぷん 23/05/29(月) 21:58:19 ID:n8Jq
正直あのレベルの死者出した時点で全員悪いやろ
4: 名無しさん@おーぷん 23/05/29(月) 21:44:05 ID:MUxP
5: 名無しさん@おーぷん 23/05/29(月) 21:44:08 ID:RLgI
そのあともアメリカは日本に酷いことしまくりだよね
7: 名無しさん@おーぷん 23/05/29(月) 21:44:30 ID:0mmw
>>5
こんなことが許されていいのか
6: 名無しさん@おーぷん 23/05/29(月) 21:44:22 ID:fPrz
どこも酷いから戦争になる
戦争なのでどこも酷い
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Source: 不思議ネット