「たわわ」の「わ」の右下に描き込まれている二本線が何を意味しているかについて、特に説明はないがおそらく多くの日本人は理解できる。そもそも「たわわ」が何のどんな状態を指しているかについても勝手に連想してくれる。直接的に書(描)かなくても、表現はメッセージを伝えることができる。 pic.twitter.com/HQvcDw9f9t
— 伊藤弘了『教養としての映画』6刷 (@hitoh21) April 24, 2022
「わ」はそれ単独ではただのひらがなのひとつでしかないかもしれないが、二本線の記号とともに提示されると別の意味を帯びるようになる。わざわざ丸みを強調した字体が採用されている意味も、それが何を表現しているかも多くの人にとって明らかだろう。
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「月曜日」の「月」の文字には天体の月(moon)の形象が入れ込まれているけれど、月はそれ自体でさまざまな文化的な意味合い(イメージ)を持っている。それが女性と結び付けられればまた新たな意味を持ちうる。そして、その意味合いについては解釈の余地がある。 pic.twitter.com/Mq79CHycKf
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一番伝えたいメッセージ(「商品/サービスを買ってくれ」)を隠しつつ、その目的を遂行するのが広告の本質なので「そんなことは言っていない、書いて/描いていない」式の批判はそれ単独ではあまり有効ではないと思う。さまざまな記号の組み合わせによって、間接的にメッセージを伝えることができる。
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「イラストだけの場合」「文章だけの場合」「イラストと文章が同時に提示された場合」では、当然ながら与える印象も発するメッセージも別物になる。一連のあれこれを見ていて、それを受け取る消費者側の解像度(リテラシー)はもっと高くなるといいなと思った。
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よく見てるな
わかる
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Source: 暇人\(^o^)/速報 – ライブドアブログ