元自民党本部情報局国際部主事で、福田赳夫元首相の秘書を務めた中原義正氏は、「私が中野(四郎・国土庁長官)先生の秘書官を務めていた1970年代半ばごろにはすでに、彼ら勝共連合(統一教会の政治団体)は永田町で積極的に動いていた」と振り返り、こう続ける。
「具体的には、議員会館の自民党国会議員の事務所に突然、『お手伝いさせてください』と訪ねてくるのです。それもひっきりなしに。容姿端麗な女性がだいたい1~2人で、年齢は20代後半ぐらいだったと記憶しています。
給与などはいらず、すべてタダ働き。よく働いてくれるものだから、当時、ほとんどの自民党議員の事務所が採用していたと思います。(疑問を持たなかったか?)いや、岸(信介元首相)さんが(旧統一教会教祖の)文鮮明氏と親しい関係だったからなのか、当時は思わなかった。その後、確か勝共議員連盟が作られ、ほとんどの自民党国会議員は参加していたはず。その流れが今も続いているのではないか」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/308263
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Source: アルファルファモザイク