講談社『江戸語大辞典』によれば、文化8年(1811年)の時点で、現代とほぼ同じ意味での「月極」という言葉が用いられていたといいます。
ただ、当時の意味合いでは「決める」に比べて「極める」のほうが「町民全体で決定する」や「契約する」というニュアンスが強く、より重みのあるものだったようです。
月極駐車場の契約は、いうまでもなく民法上の「契約」に該当する行為です。
そのため、古くから存在する「月極」という表現を用いることは自然の流れだったといえそうです。
ただ、当時の意味合いでは「決める」に比べて「極める」のほうが「町民全体で決定する」や「契約する」というニュアンスが強く、より重みのあるものだったようです。
月極駐車場の契約は、いうまでもなく民法上の「契約」に該当する行為です。
そのため、古くから存在する「月極」という表現を用いることは自然の流れだったといえそうです。
「月極」という言葉自体は、かなり古い歴史があることがわかりました。
しかし、ここで次の疑問が浮かび上がります。なぜ、駐車場以外では「月極」の文字を見ることがほとんどないのでしょうか。
過去の文献をひもとくと、1929年に刊行されたエドワード・S・モース著『日本その日その日』には「昨日私は人力車夫を 月極で雇ったが、非常に便利である」という表現が見られます。
さらに、翌1930年に発表された吉行エイスケ著『職業婦人気質』では「午前九時にやってくる月極のタクシーがすでに玄関わきで彼女の出勤を待っていた」という表現があることが確認できます。
また、大正から昭和初期にかけて活躍した小説家である菊池寛が、1910年代に京都で過ごした際のことを記した自伝小説『天の配剤』に次のような一文があります。
「自分が京都に居たとき、いろいろな物が安かった。食費が月に六円だった。
朝が六銭で昼と晩が八銭ずつだった。一日二十二銭の訳なのだが、月極めにすると二十銭に負けて呉れるのだった」
これらを見ると、少なくとも昭和初期までは月間契約全般を「月極」と表現していたことがうかがえます。
https://kuruma-news.jp/post/541810
https://kuruma-news.jp/post/541810/2
※上記リンクより、一部抜粋しています。続きはソースで
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Source: アルファルファモザイク