直径30mmほどの小さな鉄製のコマを勢いよく放ち、回転させてぶつけ合う。鋭い火花散る一進一退の攻防の末、相手のコマを場外へはじきだすか、動きを止めることで勝敗を決する。
そんな昭和を代表する遊びといえば、もうおわかりだろう。昔からその存在は知っているが、意外にもフォーカスされる機会の少ない“名品”を紹介するシリーズ。第4回は、日三鋳造所の「ベーゴマ」だ。(フリーライター 岡田光雄)
● 日本で唯一の ベーゴマ専門メーカー
「先代の時代に入社した昭和48年当時、毎日朝7時から夜9時まで工場に籠もりきりで仕事でした。真夏の猛暑日なのに工場には冷房もなく、扇風機が1~2台あるのみ。
溶解炉で鉄を溶かしたときの室温は、60℃。液体温度計の赤い液(=温度計の針)がプチンとはじけるほどの暑さで、いまにも倒れそうでした。スポーツ飲料なんてなかった時代なので、ゴクゴク飲んでいたのは、ただの塩水。
1日作業すると体重が2~3キロは落ちていましたが、ご飯をたくさん食べるから翌朝には体重が戻る。毎日その繰り返しでした」
そう回想するのは、「日三鋳造所」3代目社長の辻井俊一郎氏(75歳)。日本で唯一ベーゴマの製造・販売を専業としている企業だ。
同社が構える川口市は、鋳物(いもの)の街として有名で、吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」の撮影地になったことでも知られている。
「我が社が創業した昭和28年、その頃は川口市内にもベーゴマを作っている会社が50~60社あったそうです。
当時ベーゴマは、うちのように会社の事業として扱っていたケースはまれで、主に鋳物工場で働く職人たちの小遣い稼ぎ(=副業)でした。時期によって工場の仕事が暇なときに、余った鉄を使って片手間で作りためておく。
秋になったら問屋へ売りに行き、冬になると子どもたちがベーゴマで遊ぶというのが、毎年の流れ。そのため、昔はベーゴマを作れる職人もたくさんいました。それがいまやベーゴマを製造・販売している会社は全国で数カ所、専業のメーカーに至ってはうちだけになってしまいました」
しかし、そのベーゴマもいまや絶滅の危機に瀕しているという。
いかそ
https://news.yahoo.co.jp/articles/312b2f071fed0ff355fa99d03dc7cb9c35e8a57a
引用元:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1664920807/
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Source: ニュー速クオリティ