サン食品の創業者の土肥健一(どひ・けんいち)さんが9月5日午後3時、病気療養中のところ自宅で死去した。87歳。熊本県人吉市出身。
土肥健一氏は県民食である「沖縄そば」の名称を守るだけでなく、全国にも定着させた立役者。親交のあった関係者は「沖縄そばの呼称に対しても沖縄の文化を守るとの芯を貫き通した」と話し、沖縄そばの品質向上、販路拡大に尽力した土肥氏との別れを惜しんだ。
土肥氏は1975年に沖縄生麺協同組合を立ち上げ、初代理事長に就任した。76年に公正取引委員会(公取委)から「そば粉を使用していない沖縄そばに『そば』の名称は使えない」との指摘を受け反発。「沖縄そばは日本そばより歴史がある。その名称が使えないのはおかしい」と、持ち前の行動力で名称の認可を取り付けるなど奔走した。
親交があった県酒造組合連合会元会長の佐久本武氏は「正義感の強い方だった」と振り返る。土肥氏が那覇市の食品衛生協会の会長時代、副会長として仕事への厳しさを学んだと説明。「当時から品質管理に力を入れており、コンプライアンスにも厳しかった」と話す。
食品業界にとっては大きな存在でその死は大きな損失だとし「沖縄そばのステータスを高めた人物。ご冥福を祈りたい」と話した。
沖縄生麺協同組合の稲嶺盛健理事長は「『沖縄そばの日』にも大きく関わるなど、今日、隆盛を極める沖縄そば文化の発展に尽くした人物で、惜しい人を亡くした」と残念がる。
沖縄そば製造以外にも具材に使う豚肉の種類を研究するなど、食べる方でも愛好家だったと話す。「これからもいろいろ教えてほしかった。残念だ。お悔やみ申し上げる」と述べた。
(政経部・知念豊)
※(見出しと文中の土肥氏の『土』は、見出しにある「土」の右上に「丶」の表記となります)
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Source: アルファルファモザイク