①勅撰史書であり和銅5年に天皇に奏上された(と古事記序文は自称している)筈なのに、正史とされる「日本書紀」や「続日本紀」には古事記のコの字も出てこない。
②天武天皇が編纂命じた(と古事記序文で自称している)筈なのに推古天皇[~628]の代までしか書かれていない。
③先に『古事記』が出来た筈なのに、「日本書紀」と天皇の没年齢が一致しない致命的なミス。
→日本書紀の編者は古事記を参考にしていない?
④『古事記』は、勅撰史書の筈なのに【無官】で日本書紀や続日本紀に登場しない謎人物「稗田阿礼」が編纂している。
(1)本当に太安萬侶が文学性豊かな『古事記』の撰録者であれば全4500種が集まった『万葉集』の歌の中に一首ぐらい彼の歌があって当然だと思うが、無い。
(2)稗田阿礼も日本書紀や続日本紀に登場しない。
620年と800年の二段階を経て完成してると思う
【おそらく古事記の辿った歴史】
○[真]西暦620年
蘇我馬子らが「天皇記(当時は天皇号がないので正確には『大王記』)」を編纂する。
○[真]西暦649年
蘇我倉山田石川麻呂[改新政府右大臣]さんが誅殺される。
重要な「好書=天皇記の写本?」を遺す。
●[偽]西暦712年
稗田阿礼が暗誦、太安万侶が編纂し「古事記」が完成。と古事記の序文に書かれている。
○[真]西暦800年前後
日本書紀講師の多人長さん、講義に使える参考書を探してる間に「天皇記の写本?」を発見
( ゚д゚)ハッ!
正史と全く違う記述に仰天&豊かな神話に感嘆し、自家の権威付けのため利用してやろうと考え付き先祖の太安万侶を編者とした序文を追加。
藤原の権勢が振るわれる世情を鑑み、ある程度正史と整合性取れるように修正。
○[真]西暦812年
「古事記」の存在が初めて他文献(弘仁私記序:多人長さんが講義)に記される。
《紆余曲折、秘書扱いで近衛家書庫に封じられたり偽書扱いされたりでずっと不遇…》
○[真]西暦1798年
本居宣長が「古事記伝」を完成させる。
彼が古事記を称揚した事により評価が一変し、史上初めて日本書紀と並び評される神典として祭り上げられるようになる!!
続きを読む
Source: 不思議ネット